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新型コロナが1日も早く収束しますように。
ロ・ウ戦争が一日も早く終わるように。

お断り:このブログではよくテレビやPCなどのメディア
から引用している。自分はかつては大の読書好きだったが、
老眼になって目に負担が大きいので、読書はしていないから、
上記の記事からエビデンス(裏付け、証拠、根拠の意味)を示す。
なお、キリストに対して文書を短くするため、敬語は使わない。
 

今日(9/18)より、新約聖書の最初の書である「マタイによる福音書」を
少しずつ読んでいく。著者は不明だが旧約聖書とユダヤ教の思想に
精通した人物でユダヤ教徒と推定される。紀元80年中頃に書かれた。

二人の女のいやし
「イエスがこのようなことを話しておられると、
ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。

『わたしの娘がたったいま死にました。でも、
おいでになって手を置いてやってください。

そうすれば、生き返るでしょう。』そこで、
イエスは立ち上がり、彼について行かれた。

弟子たちも一緒だった。すると、そこへ十二年間も
患って出血が続いている女が近寄って来て、

後ろからイエスの服の房に触れた。『この方の服に
触れさえすれば治してもらえる』と思ったからである。

イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
『娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを

救った。』そのとき、彼女は治った。
イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いで

いる群衆を御覧になって、言われた。
『あちらえ行きなさい。少女は死んだのではない。

眠っているのだ。』人々はイエスをあざ笑った。
群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、

少女の手をお取りになった。すると、少女は起き
上がった。このうわさはその地方一帯に広まった。」
 (マタイ 9章 18-26) 

ここはキリストが大谷ならぬ二刀流をなした
シーンである。本来なら、指導者の娘をいやす

のが先なのに、割り込みみたいに長年出血
(月経以外の不正出血する婦人病)で苦しんで

きた女がせめてキリストの服に触れてでも
いやしてもろえると後ろから触ったら、

キリストはすぐに気づいて「信仰がいやした」と
いうと直ちにいやされた。

それから指導者(マルコ書では会堂長ヤイロ)の
家に行き、やじうまのヒヤカシにも気にせず、

少女の手を取ると直ぐに起き上がった。指導者も
長血の女もその信仰が病を癒した感動のシ-ンである。

なお、同じ記事はマルコ書5章、ルカ書8章にも
より詳しく劇的に記されている。

   よもやま噺 
今まさに紅葉シ-ズンで、あちこちの見ごろの
ニュ-スが伝わってくる。東福寺、清水寺、嵐山、

嵯峨トロッコ列車、植物園など・・・中々行く
チャンスがないので焦ってくる。

天気や交通の便を考えると行く気持ちが
定まらない。贅沢な悩みである。