無題
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「ファリサイ派の人々は・・・イエスの言葉じりをとらえて、罠にか

けようかと・・・弟子たちをヘロデ派の人々一緒にイエスのところに

遣わして尋ねさせた。『先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、

 

真理に基づいて神の道を教え・・・ところで、どうお思いでしょうか
・・・皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか・・・」
イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。

『偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を
見せなさい。』彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは
『これは、だれの肖像と銘か』と言われた。

彼らは、『皇帝のものです』と言った。すると、イエスは言われた。

『では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』彼らは
これを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。」

  (マタイ 22章 18-22より)

 

また、ファリサイ派の連中は、キリストを罠にかけ、追い詰めようと愚問を

仕掛けてきた。はじめは「真実で、真理に基づいて」とか本心からではなく、

上辺だけきれいごとで持ち上げ、「税金を納めるのは律法に適っているか」

 

と質問した。キリストは「お金を見せなさい」と言って、皇帝の肖像の入った

銀貨を見ると、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と直ちに答えた。彼

らは必要以上に驚き、早々に立ち去った。普通に考えたら当たり前な

 

答えなのに、罠にかける下心を見抜かれたと狼狽した。この問答の中では、
に税金を誰に納めるかという話ではなく、この世でのお金の使い方と
「神と金」つまりは、神には救う力はあるが、金には救う力がない偶像と

して崇めるな という戒めがある。金は必要だから、決して禁欲的な教えは
説いていない。実に柔軟に神のために使うのも、税金を始め様々な用途は
あるとの本質が込められている。彼らがいつも律法的な考えしかもたず、
融通がきかない点を突かれ退散した。