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「イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ
行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが
見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。・・・
預言者を通して言われていたことが実現するためであった。シオンの娘に
告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、
ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』(イザヤ書など)
・・・イエスはそれにお乗りになつた。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、
また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの
前を行く者も後に従う者も叫んだ・・・ナザレから出た預言者イエスだ。」
(マタイ 21章 1-11より)
この箇所はキリストがエルサレムへ入ってくる場面を記している。近くの
村に泊まっていて、入場するとき、預言されていた通りに子ろばに乗る。
この時は群衆は大歓迎した。後に処刑される時に扇動された群衆とは
別の人々と考えたい。今の群衆は「預言者イエス」としか認識していない
が、直近の弟子でさえ理解していなかったから仕方がない。ローマの支配
からとユダヤ教の指導者から逃れ、本当の王を求めていたが、
ここでは預言者と言うほどだから、今までのキリストの業を目の当たりに
して来た彼らにしたら、上出来の反応であろう。キリストが復活し、聖霊
として現れた時に3千人も集まったのは、この人たちではないだろうか。
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