愛・平和・喜び&旅写真

世界のベストセラーバイブルから福音・安ぎを学び,ブログを綴ります。

2020年09月

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 新型コロナが一日も早く収束しますように。
豪雨被災、熱中症の方々にお見舞い申し上げます。

今回より「ローマの信徒への手紙」を読んで、ブログを綴っていきます。
素人でつたない者ですが、自分なりに感じた事、学んだことを書きます。
この書(以後ロマ書とする)は使徒パウロが紀元55年頃にローマの信徒宛
てに書いた新約聖書中でも優れた福音の書として著名な手紙です。

正しい者は一人もいない
「では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるので
しょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ
人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。

次のように書いてあるとおりです。

『正しい者はいない。一人もいない。 悟る者もなく、 
神を探し求める者もいない。 

皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。 
善を行う者はいない。 ただの一人もいない。 
彼らののどは開いた墓のようであり、 

彼らは舌で人を欺き、 その唇には蝮の毒がある。 
口は、呪いと苦味で満ち、 足は血を流すのに速く、 
その道には破壊と悲惨がある。
 
彼らは平和の道を知らない。 彼らの目には神への
畏れがない。(詩編、イザヤ書から引用)』」
 (ロマ 3章 9-18)


ここにはパウロが今まで記してきた人が罪の人であることを
旧約聖書時代から預言されていたという。1章には原理的に
人類がいかに罪なる存在であるかを説き、

ここでは旧約時代、すなわち人類が始まって以来罪なる人で
あることを旧約聖書の詩編や預言書から要約引用して、
ここに列挙している。

その結果、「正しい者は一人もいない」と結論付けづには
おれないという。前にも書いたように、ととえ、自然に良い
行いをしていたにしても、人は皆神の前では

「自分には罪はない」と胸を張ることはできない。パウロは
全人類が罪の人であるから「ざまを見ろ」とは言わない。
だから、神からキリストを通して救いの福音が与えられたと、

これ以後詳しく説いていく。手術の前に悪い点を皆探し、
これらをはっきりと見つけ出しておくことが、患者を治せる
のと同じであるように。

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素人でつたない者ですが、自分なりに感じた事、学んだことを書きます。
この書(以後ロマ書とする)は使徒パウロが紀元55年頃にローマの信徒宛
てに書いた新約聖書中でも優れた福音の書として著名な手紙です。

「たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを
自然に行えば、律法を持たなくても、こういう人々は、
律法のの要求する事柄がその心に記されていることを

示しています。彼らの良心もこれを証ししており、
また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、
同じことを示しています。

そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、
人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる
日に、明らかになるでしょう。」 (ロマ 2章 14-16)


ここは世界中にいるキリストの福音信仰を持たない者への
疑問に答えている。「律法」すなわち福音を知らなくても、
善を行う立派な人々もいる。

彼らも一律に裁きの対象になるのかとの疑問に対し、
彼らは特に福音を聞いていなくても、自然に隣人や社会の
ために良き行いをしていることは確かである。

(逆に信徒であっても悪を行う者もいる)そのやうな異邦人
であっても、神は御存じだから、審判の日には正しく
裁かれるとパウロは説いている。

例えばキリスト信徒でなくても、ノーベル平和賞などの
立派な賞を受ける人もいるし、社会福祉などの人道的な
働きや、科・化学、芸術のために立派な働きをしている
人々もいる。彼らも神の目に覚えられ、褒められる日が来る。

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この書(以後ロマ書とする)は使徒パウロが紀元55年頃にローマの信徒宛
てに書いた新約聖書中でも優れた福音の書として著名な手紙です。

「神はおのおのの行いに従ってお報いになります。すなわち、
忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、
永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、

真理ではなく不義に従う者には
、怒りと憤りをお示しに
なります。すべて悪を行う者には、怒りと憤りをお示しに
なります。すべて悪を行う者には、

ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、
栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさい
ません。」 (ロマ 2章 6-11)


ロマ書には後で、もっと詳しく罪や悪、救いについて
記されるので、ここでは序論として、一般論的に書かれて
いる。しかしこれらが正しいと言っている。

悪は滅び、善は救いとなることは間違いない。強調されて
いるのは、神は公平な方だから、人種・民族などで分け
隔てはなさらず人は全部平等であるというのである。

すなわち、パウロの同胞であるユダヤ人だけの救い、福音
ではなく、異邦人の全人類が救いの対象であると言っている。
現に今の世の中でも殺人やもろもろの犯罪、詐欺事件が

はびこっている。コロナ禍も一向に収束の気配もない。
本当に神は居るのかと疑う気持ちが湧くのも仕方がない。
しかし、必ず決着がつく時が来ることは間違いない。

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この書(以後ロマ書とする)は使徒パウロが紀元55年頃にローマの信徒宛
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「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に
定めている。あなたも人を裁いて、

同じことをしているからです。神はこのようなことを
行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知って
います。・・・あなたは、神の裁きを逃れられると

思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い
改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と
忍耐とを軽んじるのですか。

あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを
自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい
裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。」

 (ロマ 2章 1-5)

ここでもパウロは手をゆるめずに、しつこく人の罪を
あばこうとしている。しかし、所々に
「神の憐れみ」
「悔い改めに導く」「慈愛と寛容と忍耐」などの救いが

あることをほのめかしている。これは例えば、がんの疑い
がある患者に対し、様々な苦しい検査や診断をするのと
似ている。それは患者を治し、救うための検査である。

サディスチックな責めるためだけの行為ではない。パウロは
そのように罪の事を何度も述べるのは「人の罪」を気付かせ、
救いの道に導く神の救いの業である福音を述べるのが

目的である。罪をあいまいにしておけば、救いもあいまいで、
人を救えないからである。この救いを裁きというのは、人には
必ず最後の審判があって、善も悪も正しく裁かれるのである。

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「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことを
するにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を
辱めました。神の真理を偽りに替え、

造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたの
です。造り主こそ、永遠にほめられるべき方です、
アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲に

まかせられました。・・・その迷った行いの当然の報いを
身に受けています。・・・彼らはしてはならないことを
するようになりました。

あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、
殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、

大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、
不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを

行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、
自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも
是認しています。」 (ロマ 1章 24-32)


ここは読んでいて非常にしんどく、苦しく、気持ちが
悪くなる個所だが、あえて書いたのは、パウロがここを
記さなければ、福音の本当の意味が伝わらないからで、

後で、それが分かった時は絶大な喜びと福音の偉大さが
分かるのである。書かれていることは全て当たっていて、
否定をしようが無いほど、その通りで「参りました」と

いうしかない。例えば、現実に人が殺し合う戦争、
ホロコ-スト、人種・人権差別、対人関係の歪み、もめ事、
パウロの時代から同じ事が繰り返されている。

人の罪の根源は神への背きと神ならぬ物を拝む偶像崇拝で
あるが、その結果人はあらゆる悪を行っている。これらの
事柄をテ-マにして、ドラマや映画が度々造られている。

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人類の罪とは
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心
と不義に対して、神は天から怒りを現わされます。
なぜなら、神について知りうる事柄は、

彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、

これを通して神を知ることができます。従って、
彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知り
ながら、あがめることも感謝することもせず、

かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなった
からです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、

滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や
這うものに似せた像と取り替えたのです。」
 (ロマ 1章 18-23)


教会へ行くとよく「人間は罪人だ」とよく言うので、
敷居が高くて入りづらいものだが、
パウロはここでは、
なぜ「人は罪人なのか」をあらゆる現実の事象を

示しながら説いていくので「ぐうの音」もでないほど
「ああそうですね」としか言えないほど説得力がある。
「神の怒り」についても、いきなり例えば天災とか病、

死がそうだとかはいわずに、まずはこの世界の有様を
説く。「神の永遠の力と神性は『被造物』に現れており」
とは、宇宙の壮大さ、この地球の天地、海中の絶景は

テレビの番組で屡々紹介され、いつも驚きと不思議さを
感じている。人体にしてもその臓器の働きや細胞などの
ミクロの世界と働きは「すごい」としか言いようがない。

また、鳥などの被造物を神として崇める偶像礼拝は
限りがないほど多く見られる。このように、パウロは
ワンパタ-ンな表現はせず、じっくりと諭している。

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「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、
ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力
だからです。

福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから
終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は
信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」
 (ロマ 1章 16-17)


「正しい者は信仰によって生きる」は旧約ハバクク書に
書かれている。福音はずっと昔の旧約時代から変わらない
ことの証しである。福音の詳細な内容はこのロマ書全体に

書かれているが、一応ここでは「救いをもたらす神の力」
と要約している。大切なことは世の宗教では金を沢山収め
た者とか、小難しい理論とか掟、修業を行う者とかに

関する有難い教えと思われているが、聖書の福音は民族、
身分などに関係なく、
信じる者すべてが福音を信じること
によって救われるとパウロは説いている。

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「あなたがたにぜひ会いたいのは、”霊”の賜物をいくらか
でも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたの
ところで、あなたがたとわたしが互いに持っている

信仰によって、励まして合いたいのです。・・・何回も
そちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているの
です。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、

知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知ら
せたいのです。」 (ロマ 1章 11-15)

良い知らせである福音は独り占めするのではなく、「霊」
すなわち神からの賜物だから皆で分かち合い、富める者も
貧しい者も知恵ある者もそうでない者も平等に、

全世界の人々、まずはローマの信徒の仲間と会いたい。
そして直に伝えたいというのがパウロの願いであると、
ここでも何度も言っている。それほどに福音の尊さを

パウロは知っているので、これ以後長々と福音の本質を
述べていくのである。まだまだ福音の入り口に来た感じ
である。

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「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた
一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの
信仰が全世界に言い伝えられているからです。

わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕え
ています。その神が証ししてくださることですが、
わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを

思い起こし、何とかしていつかは神の御心によって
あなたがたのところへ行ける機会があるように、願っ
ています。」 (ロマ 1章 8-10)


ここはこの手紙の挨拶がまだ続いている。それは形式的、
儀礼的なものではなく、まるで恋文のような深い
思い
感情を込めた文が続くからである。

日本の教会で、よく言われる自虐的な暗い感じは一切無く、
神への感謝と同信の友への信仰に伴う喜びが込められ、

いつかは面と面を合わせて会えることの願いを訴え、
これがまるで、恋文のようにひしひしと伝わって来る。

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「この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるよう
に召されたあなたがたもいるのです。——神に愛され、
召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。

わたしたちの父である神と主イエス・キリストから恵みと
平和が、あなたがたにあるように。」

 (ロマ 1章 6-7)

この手紙の最初のあいさつで、もう異邦人を意識して
福音が1ユダヤ人だけのものではないと言っている。
だからこそ、数々の迫害にも屈せず宣べ伝えた結果

後に世界中に広まって行った。聖なるとは本当の特別な
聖人になるという意味ではなく、神に属する家族の一員
とされたという意味である。

ここでもパウロは難しい経典とか戒律とは言わずに、
恵みと平和があるようにと希望に満ちた挨拶をして
いる。

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「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、
召されて使徒となったパウロから、この福音は、神が
既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、

御子(みこ)に関するものです。御子は、肉によればダビデ
の子孫
から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの
復活に
よって力ある神の子と定められたのです。

この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての
異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて
使徒とされました。」 (ロマ 1章 1-5)

ここではパウロが自己紹介とキリストの紹介、福音とは
何かを概略的に述べている。またこれらは既に預言者に
よって昔から預言され、メシア、救い主として遂に現れ、

福音が実現(成就ともいう)した。御子と最大級の敬語を
使うのはまさに世界の創造主である神の子だからである。
「肉によれば」とはこの世的・地上的な系図という意味。

「霊によれば」とは神の意思、計画によるという意味で、
人間が勝手に考えたスト-リ-ではないという意味である。
だからこそ、前に書いたように、単なる宗教としての

キリスト教ではないのである。まさに神から与えられた
福音であり、「良い知らせ」「喜ばしい出来事」である。
教会の中でも未だにキリスト教と言うのは残念である。

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当分の間、聖書から離れて自分自身の諸々に
ついて散文を書いていきます。まとまりがありま
せんが、お目を通してくだされば幸いです。


☆ 聖書と日常の問題
聖書には性や結婚の事柄について多く書かれています。
『神は彼らを祝福して言われた。』「産めよ、増えよ、

地に満ちて地を従わせよ」「人が独りでいるのは良くない。
・・・こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は
一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、

恥ずかしがりはしなかった。」と創世記の初めに書いて
あります。アダムとエバ、すなわち人を創られた時から、
「産めよ、増やせよ」と祝福されたのです。

当然子供を増やすことは、性生活が伴う。決して汚いとか、
嫌らしいものではありません。祝福された行為です。
結婚についても、パウロは「結婚はしてもいいが、

しなくても良い」とはいえ、決して結婚を否定していま
せん。つまりは結婚至上主義ではなく、柔軟な考えを持
っていました。決して禁欲主義では無かったのです。

それなのに今日に至っても、カトリックでは神父が妻帯を
認めないのは不思議です。陰では男児虐待が大問題になっ
ています。

そんな訳で、教会では教会だけで通じる原理的な話しだけ
ではなく広く日常生活についても語り合うべきなのに、
性や男女問題、結婚についての話がされないのは

大いに疑問です。聖書には殆どについて答えが書いてあり、
もっと幅広く深く学んでいく必要があります。そうでなけれ
ば、誰も教会へは来ないでしょう。神の愛が満ちた教会へ。



今回で「自分を語る」を終了します。長らくのご愛読感謝
します。次回からは聖書を読んでのコメントを続けます

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☆ 性、結婚、夫婦、男女問題など
近頃のテレビではまともに性の問題が語られる事は
ありません。学校でも昔から北欧のような正しい
性教育はされていません。

人間の三大欲望は①食欲②性欲③集団欲(睡眠欲は疑問)と
言われています。それにもかかわらず、性は汚い、いやら
しい、恥ずかしいなどと先入感があって公では語られず、

裏のビデオで間違った情報を伝え、大人や子供たちは学校
では教えられないから、ここから間違った情報を受け、
性犯罪に繋がる事もあります。

テレビなどのオ-ルドメディアは昔は恋愛ドラマで美しく
芸術性のあるヌ-ドシ-ンを映していましたが、スポンサ-
や総務省からの圧力があるのか滅多に見られません。

ある政治家がYoutubeで盛んにオ-ルドメディアの悪口を
言っています。但し、NHKは私は良い番組を作っていると
思います。民放は資金難からと制作者の無能さからか、

CMばかりでつまらない番組が多すぎます。雛壇や、グルメ、
真似した動画番組ばかりです。話が横道に逸れましたが、
教会でも前日に書いたように、決まりきった言葉ばかりで、

性、結婚、夫婦、男女問題などほとんど話題になりません。
聖書にはこれらについて全部触れて書いてあります。だから、
私は聖書には全て答えが書いてあるといったのです。

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☆なぜ心理学が必要か
前回長々とボランティアについて書いたのは、訳がある
からです。主に心理学、人間、人間関係のことを述べた
のは、この社会で生きていくには、

必ず人の心理、気持ちを理解し、対人関係にも気を配る
必要があります。これがうまく行かずに悩んでいる人が
多いし、相談も多くきます。

教会では聖書の言葉を引用して、「隣人を愛せよ」と
いつも言っています。しかし今日、教会へ来る人は少ない
です。例えばアメリカの教会事情を聞いたところでは、

日曜日には2.3千人の人が礼拝に来るそうです。そこでは
形式的な礼拝以外に、様々なサ-クルがあって、昼食も兼
ねて一日中楽しく過ごすます。

テレビでも中継してリモ-トで参加しているそうです。
日本ではこんな話はごく一部の教会を除いて聞きません。
教会内でしか通用しない言葉を多用します。

「神のみ心」「礼拝を守る」「兄弟姉妹の祝福を祈る」
「伝道しなければ」などです。これらが間違っているとは
言いません。しかしこんな言葉だけを使っていれば、

「井の中の蛙」で世間の事が分かっているのかと誤解され
ます。教会の敷居が高くて集まりにくいです。私はある
集会で「もっと聖書の勉強をしよう、聖書には全ての

答えが書いてある。書いてない事は何でもしたら良い。
投書箱を設けて広く教会員の声を聞けば」などと発言し
た事がありますが、全然反応がありませんでした。

他人の悩みを聞く時は、心理状態や対人関係論をよく把握
し、ひたすらに相手の話、気持ちを聞き続けるのがカウン
セリングの基本です。「隣人を愛せよ」を実践するには、

この基本が分からなければ、上から目線で相手にされている
と感じて相談者は気まずくなるでしょう。ある熱心な信徒で
精神科医がホスピスを立ちあげた時、そう言っていました。

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☆ ボランティア活動
私はずっと教会活動をしながら現役生活を続けていまし
たが、40代になって、悩み事の電話相談員に応募して、
1年間講習を受けました。

机上では電話カウンセリング、心理学、精神医学、自殺問
題、性の問題、法律問題などの講義の他、グル—プ学習と
して
大学の学生相談室長でカウンセラ-である

K教授の指導のもと、数人1グル—プでカウンセリングの
実践、人間学、人間関係学など、それも本をもとに講義を
受けるのではなく、グル—プで皆が自由に話し合う体験学
習をしました。

本は個人が読んでレポ-トを出す形でした。ここでは後に役
に立つ大きな学びをしました。認定後は実践に入りました。
ここは年中無休、24時間を1日6シフトに分かれ、

原則一人月2回の当番に入りました。電話は自殺願望など
あらゆる問題が休みなくかかってきました。1時間以上休み
なく話を聞くのは当たり前で、報告を書く仕事もあるから、

30年以上は続けると、しんどくなり、これもリタイアし
ました。一時自殺数は減ったが、コロナ禍で増えている
そうです。相談員が足りなくて大変です。

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 新型コロナが一日も早く収束しますように。
豪雨被災、熱中症の方々にお見舞い申し上げます。

当分の間、聖書から離れて自分自身の諸々に
ついて散文を書いていきます。まとまりがありま
せんが、お目を通してくだされば幸いです。


1 映画と読書
私は若い時から、読書と映画が大好きでした。
読書はそんなに難しいものではなく、歴史、
推理など大衆小説、エッセ-。司馬遼太郎、

遠藤周作ほか、図書館にある書を乱読しました。
老眼になって読み辛く、最近は殆ど読みません。
映画は洋画オンリ-でもっぱら録画でよく見ます。

これも洋画のアクションもの、西部劇、邦画は
みません。007・taxiシリ-ズは最高で、いつも
腹を抱えています。

2 音楽
若い時はクラシック、イ-ジ-リスニング、小椋佳、
何でも聴きましたが、最近はながら聴きが多いです。
il・divo、カーペンタ-ズ、パヴァロッティは大好き。

洋物以外では、吉幾三、山下達郎、井上陽水など。
NHKの番組「駅・街角・空港ピアノ」は大好き。
たまにショパンも弾いていますが良いですねえ。

3 聖書と教会
20代で教会へ行き出し数十年になりますが、
キリスト教と呼ぶのは間違っています。聖書には
ひと言もキリスト教とも宗教とも書いていません。

聖書は神の言葉、世界の万民のための福音(良い知ら
せ)です。神は全宇宙の創造主、全能で愛の主です。
救いの書であると何度も書いてきました。

一生かかっても理解し尽くすことはできません。
これからも、ライフワ-クとして読み続け、
ブログも続けていくつもりです。

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当分の間、聖書から離れて自分自身の諸々に
ついて散文を書いていきます。まとまりがありま
せんが、お目を通してくだされば幸いです。


1 簡単な出自
私は19〇〇年生まれ、〇〇歳、リタイア組です。
実年齢を書かないのは、人は年齢で人柄や性格などは
判断できないし、先入観を持って欲しくないからです。

ここに書く範囲内で私を判断してください。貧困家庭
だったので、高校卒業がやっとでした。鉄道関係に就
職、定年退職した後はボランティア・文化活動継続中。

2 余暇、趣味など
テレビは主にNHK(BS含む)を録画後見る。PCブログ、
YouTube、ネットサ-フィン。PC初心時メル友も沢山
いたし、会ってランチもしたが、今は殆どいません。

週1度の整骨院通いはお喋りが楽しいです。コロナ以前は
NHK文化センタ-で種々の講座に通ったが、今は行けない
のが残念。最近中学から職場まで同じだった親友と会い、

数時間楽しいお喋りをしました。厳選して録画した映画は
最近では終戦月に因んで戦争物が多かった。例えば「戦場
のピアニスト」「ノルマンディ作戦」等戦争の悲惨さ実感。

その他
私は20代で聖書を読み始め、教会に通い、多くの友とキャン
プや諸集会に参加した。恩師から懇切丁寧に聖書を学んだ。
40代で悩み事相談員のボランティアを長年続けた。

本気で聖書を読みだしたのはリタイア後で、今のブログを
書き出したのはごく最近です。これを続けて益々、聖書の
真実さ、キリストを通して神の愛の深さを学んでいます。

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7月20日より新約聖書の「ヤコブの手紙」を読み、ここから学び、
感じたことを書いていくつもりです。紀元100年末~200年初頃に、
キリストの弟ヤコブ以後の教養深い賢者により書かれた手紙です

「富んでいる人たち、…自分にふりかかってくる不幸を
思って、泣きわめきなさい。・・・富は朽ち果て、衣服には
虫が付き、金銀もさびてしまいます。

・・・あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火の
ように食い尽くすでしょう。あなたがたは
、この終わり
の時のために宝を蓄えたのでした。

・・・労働者にあなたがたが支払わなかった叫びは賃金が、
叫び声をあげています。・・・人々の叫びは、万軍の主の
耳に達します。あなたがたは、地上でぜいたくに

暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心
を太らせ、正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、
あなたがたに抵抗していません。」

 (ヤコブ 5章 1-6)

ここでは悪辣な経営者の悪徳ぶりを例にして、自分たちの
金もうけのみが目的で労働者から搾取し、自分たちは
贅沢三昧をしてきた。これらを罪ともいい、

必ずその報いは受けると記している。自分たちが罪を
犯すばかりか、正しい人(キリスト)を罪に定め、無抵抗
なのに十字架上で殺した。

その代償は必ず清算されるときつく言っている。今の世間
でも、一時は見過ごされているように見える悪人、罪人も
必ず裁かれる日が来る。

パソコンを開けると、必ず世界の貧者への支援を訴える広告
が載っている。それほどに世界中の多くの人々が飢餓や飢え
に喘いでいる。富者が富を独り占めしている結果でもある。


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8月18日より旧約聖書の17巻目にある「エステル記」を読み、感想
なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「クセルクセス王は全国と海の島々に税を課した。王が
権威をもって勇敢に遂行したすべての事業と、またその
王が高めてモルデカイに与えた栄誉の詳細は

…に書き記されている。ユダヤ人モルデカイはクセルクセ
ス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、
多くの兄弟たちには愛されて、

彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を
約束した。」

 (エステル 10章 1-3)

エステル記も最後になった。ここでは王の業績とユダヤ人
モルデカイの栄誉、ユダヤ人の幸福と平和を記している。
同じ女性が主人公になっていた「ルツ記」

(7月1日~19日投稿分)は全体が穏やかな内容であったが、
このエステル記はかなりきつい殺人、復讐などの内容がある
記事もあって、これが聖書かと疑問を抱いた時もあったが、

総体的にはこの記もユダヤ人のみならず、人類への神の愛が
説かれている本来の聖書の本質は変わらない。



今回をもって「エステル記」に関する投稿は終了します。
長らくのご愛読を感謝いたします。

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8月18日より旧約聖書の17巻目にある「エステル記」を読み、感想
なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセ
ス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者に
も文書を送り、毎年・・・

ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが
喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を
宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、

貧しい人に施しをすることとした。・・・この両日をプリムと
呼ばれる。・・・王妃となった・・・エステルは、ユダヤ人モルデ
カイと共にプリムに関する・・・書簡を・・・

王国百二十七州にいるユダヤ人に、平和と真実の言葉をもっ
て文書が送られ、・・・エステルの言葉によってプリムに関す
る事項は定められ、文書に記録された。」
 (エステル 9章 20-32概略)


この個所は長すぎるので、意味が損なわれない範囲で省略し
要点だけ記した。重要な内容が含まれている。「プリム」に
ついては聖書のここだけにしか記されていない。例えば、

「過越し」はユダヤ人にとって重要な事柄であり、キリスト
の贖罪と大いに関係が深いので、よく出て来るが、プリムは
このエステル記だけである。あえて書いているのは、

ユダヤ人が復讐を遂げ、大虐殺をしたかのような記事があり、
それらの出来事を大いに喜び、宴会までしたと書いてあると、
その点だけを切り取って、ユダヤ人が復讐と殺人を、

ひいては聖書はこれらを肯定しているかのような誤解を与え、
間違った教えを伝えかねないので、きっちりしておきたい。こ
こで聖書が伝えたいのは、殺人の肯定より、平和、喜びなど

新約聖書の福音に通じる、愛の本当の精神を伝えたいからだ
と思うのである。ユダヤ人がひととき、悪者ハマンのために
全滅の危機にさらされたが、エステルの尽力によって

生存できたことを神の恵みと受け取り、神の愛の喜びを表す
ことが主目的であることを伝えるためにこの書が書かれたの
である。決して殺人や復讐をすすめているわけではない。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「第十二の月、この王の命令と定めが実行されることと
なった。・・・
ユダヤ人がその仇敵を征伐する日となった。
・・・モルデカイは王宮で大きな勢力を持ち、

その名声はすべての州に広がった。・・・ユダヤ人は敵を
一人残らず剣にかけて討ち殺し、滅ぼして、仇敵を
思いのままにした。

要塞の町スサでユダヤ人に殺され、滅ぼされた者の数は
五百人をに達した。・・・ハマンの十人の息子を殺した。
・・・息子は木にかけられた。・・・仇敵七万五千人を殺した。

・・・こういうわけで地方の町に散在して住む離散のユダヤ
人は、・・・宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換
する。」 
(エステル 9章 1-19)


この記事はかなり長いので、省略して要点だけを記した。
すなわち、ここには、ユダヤ人たちがこの国のあらゆる
地方で、自分たちを殺そうとした人々への復讐として

王に認められた通りに行い、それらを記念して喜びの宴会
を開いたとしている。この点は旧約聖書が倦厭(けんえん)
される点である。これを解釈すると、聖書は書いてある

ことが全部正しいと理解するより、すざましい戦争の場面が
多く出て来るが、これは戦争を肯定するとみるのは間違いで、
むしろ、

人はこんなむごい事でも平気でする生き物だと
ありのままを
客観的に記録的に写実しているのである。だからベストセラ-
となっている。裏表のない貴重な書である。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「御用馬の早馬に乗った急使は王の命令によって直ちに
急いで出立し、要塞の町スサでもこの定めが言い渡され
た。モルデカイが紫と白の王服に、大きな黄金の冠と

赤の上着を着け、王の前から退出してくると、スサの
都は歓声に包まれた。それはユダヤ人にとって輝かしく、
祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった。

王の命令とその定めが届くと、州という州、町という町
で、ユダヤ人は喜び祝い、宴会を開いて楽しくその日を
過ごした。

その地の民族にもユダヤ人になろうとする者が多く出た。
ユダヤ人に対する恐れに襲われたからである。」 
 (エステル 8章 14-17)


ここでは王の命令が正式な手続きによって早急に伝えられ
たと記されている。それはユダヤ人にとっていかに喜ばし
い事であったかをひしひしと語っている。

ユダヤ人は一旦は全滅と思ったのに、蘇ったからである。
それは、罪によって人類が死ぬべきところが、キリストに
よって救われたことを暗示している。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「・・・王の書記官が招集され、インドからクシュに至る
まで、百二十七州にいるユダヤ人と総督、地方長官、
諸州の高官たちに対してモデルカイが命ずるがままに

文書が作成された。・・・王の指輪で印をおしてあった。
その文書は・・・各地に届けられた。こうして王の命令に
よって、どの町のユダヤ人にも自分たちの命を

守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を
女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、
その持ち物を奪い取ることが許された。

・・・これはクセルクセス王の国中どこにおいても一日だけ、
・・・すべての民族に国の定めとして公示され、ユダヤ人は
敵に復讐するその日に備えるようになった。」 

 (エステル 8章 9-13)

ここはユダヤ人が「一人残らず滅ぼし、殺し」「絶滅させ」
「持ち物を奪い取る」という物騒な言葉が記されている。
あまり気持ちが良い個所ではない。この時代の復讐とは

ここまでやるかと理解しにくい個所でもある。この前に
ハマンがこの通りの事を逆にユダヤ人に対してなすように
命じていたことを、取り消すためにこれだけの

面倒な手続きが必要であったのだが、その煩雑な手続き
よりもそれ以上にこの時代の復讐のあり方である。昔、
ユダヤ人がエジプトの奴隷から解放された時には

同じように「エジプト人から金銀の装飾品や衣類を求め、
・・・エジプト人は彼らの求めに応じ・・・分捕り物とした」と
出エジプト記には書かれている。ただ、殺人はしなかった。

これをもって、聖書は平気で殺人を認めていると断言する
のは間違いである。新約マタイ書、ロマ書には復讐は
禁じている。(詳しくは別項で書きたい)

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「そこでクセルクセス王は王妃エステルとユダヤ人モル
デカイに言った。『わたしはハマンの家をエステルに与
え、ハマンにを木につるした。

ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならない。
お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名に
よって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。

王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された
文書は、取り消すことができない。』」

 (エステル 8章 7-8)

ここで、以前一旦ハマンによってユダヤ人殲滅の布令が
出されたあらゆる手続きが訂正されることになる。前も
そうであったように、取り消すのにも大変な手数がかかる。

それをハマンの代わりに取り立てたモルデカイに委ねられ
た。これらは現在でも同じ事である。ところが、今では
間違った政治判断でも一旦決まれば、

それを改めるのは大変で、中々良い方向へ進まないもので
ある。特に独裁力の強い国では顕著である。また、民主国
家でも政治か行政力が弱いか、無能か、

どちらもそうであろう。弱者が浮かばれることはできない。
2千数百年前の絶対的権力を持っていた王でもきちんと
判断ができるから、時代の新旧は関係ないのだろう。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「エステルは、再び王の前に申し出て、その足もとにひれ
伏し、涙を流し、憐れみを乞い、アガク人ハマンの悪事、
すなわち、ユダヤ人に対して彼がたくらんだことを

無効にしていただくことを願った。王が金の笏を差し
伸べたので、エステルは身を起こし、王の前に立って、
言った。『もしお心に適い、特別の御配慮をいただき、

また王にも適切なことと思われ、私にも御目をかけてい
ただけますなら、…ハマンの考え出した文書の取り消しを
書かせていただきとうございます。

ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしょうとしてあの文書を
作りました。私は自分の民族にふりかかる不幸を見るに忍び
ず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。』」

 (エステル 8章 3-6)

このエステル記では、ハマンの悪事が裁かれ、彼も木に
かけられたことで終わっても良かったのに、まだ切りが
ついていず、長々と後に話が続いて行くのである。

この点が聖書はいいかげんな書物ではない事をはっきりと
教えている。例えばテレビドラマなどでは、後の話は要点
だけが、ナレ-ションとか、字幕で説明していくものだが、

ここではきっちりと事の顛末が記されている。公文章を読む
ようで気長な気持ちが必要だが、成程と思える点が多々出て
来る。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「宦官の一人、ハルボナは王に言った。『ちょうど、柱が
あります。王のために貴重なことを告げてくれたあのモル
デカイをつるそうとして、ハマンが立てたものです。

五十アンマもの高さをもって、ハマンの家に立てられてい
ます。』王は、『ハマンをそれにつるせ』と命じた。
こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱に

つるされ、王の怒りは治まった。その日クセルクセス王は、
ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。
エステルはモルデカイとの間柄を知らせので、

モルデカイは王の前に出た。王はハマンから取り返した
指輪をモルデカイに与え、エステルは彼をハマンの家の
管理人とした。」 (エステル 7章 9-10、8章/1-2)


このようにしてハマンの悪事がついに全部明らかにされ、
モルデカイをつるすために立てた柱に自分自身がつるされ
た。一時はユダヤ人が殲滅されるところだったのが

エステルの知恵と機転により、王の誤解を解き、正しい
裁きが行われ、モルデカイがハマンに変わってその役に
つくことになる。ここから学ぶことは、

悪事は必ずバレて必ず処罰されるものだと知らされ、

安心を覚える。この世の矛盾や不条理に失望せず望みを
抱き続けることが大切だと聖書から教えられる。

話はこれで終わらない。その後の細かい事柄が綿密に記さ
れる。これらはユダヤ人の気質だと思われる話を繰り返して
細かく記していくので、退屈を覚えるのは確かだ。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「クセルクセス王は王妃エステルに、『一体、誰がその
ようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいる
のか』と尋ねた。エステルは答えた。

『その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます。』
ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。王は怒って立ち
上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出た。

ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。
王による不幸が決定的になった、とわかったからである。
ハマンがエステルのいる長いすに身をを投げかけて

いるところへ、王宮の庭から王が酒宴の間に戻って来た。
王は言った。『わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴
しようとするのか。』

この言葉が王の口から発せられるやいなや、人々はハマン
の顔に覆いをかぶせた。」 (エステル 7章 5-8)


王がなぜ一旦席を立ったかは説明がないが、推理小説の
ように犯人を罠にかけ、いいがかりをつけるためにその
チャンスを与えたとは思えない。

王の身分では直ちに処分を下せるはずだが、王は大きな
ショックを受け、気持ちを落ち着かせるためではなかっ
たのかと推測する。今までハマンを信じ、

全権を与えて来たのに裏切られた事。王
ユダヤ人である
理由だけで裁く気持ちはなかったのに、
最初から国の法律
に違反するとハマンからウソをつかれた事への

怒りであっただろう。元々王の先祖はユダヤ人をバビロン
捕囚から解放する善政をしいてきたから、無謀な人権侵害
をし、しかも殲滅せることは眼中になかったはずである。

ハマンの私欲のためだけに働いたハマンは許されるはずは
ない。現在でもフィクションではなく、
同じことが行われ
ている。政界やその他諸々のところで。

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なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「王とハマンは、王妃エステルの酒宴にやって来た。
この二日目の日も同様に、ぶどう酒を飲みながら王は
言った。『王妃エステルよ、

何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の
半分なりとも与えよう。』『王よ、もしお心に適います
なら』と王妃エステルは答えた。

『もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、
願いを聞いていただけますならば、私のために私と私の
命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。

私と私の民族は取引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させ
られそうになっているのでございます。私どもが、男も女
も、奴隷として売られるだけなら、

王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙って
もおりましょう。』」 (エステル 7章 1-4)


二日目の酒宴で、王はエステルに望みを言わせる。
エステルはここぞとばかりに、勇気をもってハマンの前で
ハマンのユダヤ人絶滅計画を暴露する。

(エステル記8.9にハマンが王に取り入り、モルデカイが
自分には敬意を払わなかったのを逆恨みした経緯参照)
ハマンは多分ユダヤ人と言うより、自分を軽く見た

モルデカイがたまたまユダヤ人であった事を他の民族が
反政府的な法律を持っていると話をすり替えて、ユダヤ
人を撲滅させ、モルデカイ個人も民族も共に滅ぼすと

いう計画を進言しその手続きを行った。その日が迫って
いたので、エステルは非常手段として王に直接訴えた。
王はここで初めてハマンが自分の利益のためだけに王に
進言したことを知り、王の怒りに触れハマンは裁かれる。

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王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「モルデカイは王宮の門に戻ったが、ハマンは悲しく
頭を覆いながら家路を急いだ。彼は一部始終を妻ゼレ
シュと親しい友達とに話した。

そのうちの知恵ある者もゼレシュも彼に言った。
『モルデカイはユダヤ人の血筋の者で、その前で落ち目に
なりだしたら、あなたはもう勝ち目はなく、

あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。』彼らがこう
言っているところへ、王の宦官たちがやって来て、
エステルの催す酒宴に出るよう、ハマンをせきたてた。」
 
(エステル 6章 12-14)

あれだけ権勢を誇っていたハマンの凋落がはじまる。
エステル記は単なるお話ではないと書いたように、
ここから複雑なユダヤ人の話に展開していく。

ここでは、ハマンの落ち込んだ気持が正直に記され、
周りの者は悪あがきのように逆転を謀ろうとする。
酒宴の出席を促してきたので暗い気持ちででかける。

現在でも政治家や事業者が犯罪を行った時も同じように
まずは「何もしていない」とか、「身に覚えはない」と
言うが、後で必ず悪を認める場面が多い。
いつの時代も同じである。聖書はそれを教えている。

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豪雨被災、熱中症の方々にお見舞い申し上げます。

8月18日より旧約聖書の17巻目にある「エステル記」を読み、感想
なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「王はそこでハマンに言った。『それでは早速、わたしの
着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカ
イに、お前が今言ったとおりにしなさい。

お前が今言ったことは何一つおろさかにしてはならない。』
ハマンは王の服と馬を受け取り、その服をモルデカイに着
せ、都の広場で彼を王の馬に乗せ、その前で、

『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことが
なされる』と触れ回った。」
 (エステル 6章 10-11)


今回はここまで。次回はハマンが自分に対して与えられる
と期待して定めた栄誉が最も嫌悪していたライバルのモル
デカイに自分自ら与える屈辱に
苛む(さいなむ)ようすが

リアルに描かれている。エステル記が単なる「勧善懲悪」
物語ではないことが分かって来る。最後の10章ではハッ
ピ-エンドになっているが、複雑な感情をいだく。
それはその時に書こう。

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8月18日より旧約聖書の17巻目にある「エステル記」を読み、感想
なり、学びを綴って行きます。この書は「諸書」の一つで、ペルシャ
王の王妃となったユダヤ人エステルの知恵と活躍を描いています。

「その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持って来させ、
読み上げさせた。そこには、王の私室の番人である二人の
宦官、ビグタンとテレシュが王を倒そうと謀り、

これをモルデカイが知らせたという記録があった。
そこで王は言った。『このために、どのような栄誉と称賛を
モルデカイは受けたのか。』そばに仕える侍従たちは答えた。

『何も受けませんでした。』王は言った。『庭に誰がいるの
か。』ハマンが王宮の外庭に来ていた。準備した柱にモルデ
カイをつるすことを、王に進言するためである。

侍従たちが、『ハマンが庭に来ています』と言うと、王は、
『ここへ通せ』と言った。ハマンが進み出ると、王は、
『王が栄誉を与えることを望む者には、

何をすればよいのだろうか』と尋ねた。ハマンは、王が
栄誉を与えることを望む者は自分以外にあるまいと心に
思ったので、王にこう言った。

『王が栄誉を与えることをお望みでしたら、王のお召しに
なる服を持って来させ、お乗りになる馬、頭に王冠を着け
た馬を引いて来させるとよいでしょう。

それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与える
ことをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場で
その人を馬に乗せ、その前で、「王が栄誉を与えることを

望む者には、このようなことをなされる」と、触れさせら
れてはいかがでしょうか。』」 (エステル 6章 1-9)


王は眠れなかった時にたまたま目にした宮廷日誌で、
王に対するク-デタ-がモルデカイの機転によって未然に
防がれた事を知り、(8/24付・エステル記7の記事)

この件でモルデカイが栄誉を受けてない事も知った。
ハマンは他人を平気で木につるす計画を持ちながら王に
面会した。王はハマンに栄誉について意見を聞いた。

ハマンは得意げにその栄誉の対象になる人物を自分自身に
見立てて、一般論のように述べ立てた。この時点では、
王はまだ
マンの悪だくみを知らなかったであろう。

有能と思えていたハマンに意見を聞いたのに、結果的に
誘導尋問に引っかかったごとく、ハマンは悪事がばれて、
逆の立場になり処刑される。まるで推理小説のように。

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